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東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)119号 判決

一 請求の原因一ないし四の事実(特許庁における手続の経緯、特許請求の範囲の記載、本件補正の却下の決定の内容及び本件審決の内容)については、当事者間に争いがない。

二 本件審決を取り消すべき事由の有無についての判断

1 原告は、本件審決が本件補正を誤つて却下した本件補正の却下の決定を前提として、本件補正直前の明細書である基準明細書に基づいて審理した点の誤りを主張するので、まず、その点について検討する。

(一) 当事者間の争いのない昭和六一年七月一四日付手続補正書における特許請求の範囲の記載、成立に争いのない甲第二号証の一(特公昭五九―三五三四六号特許公報・本願公報)及び二(昭和六一年七月一四日付手続補正書)によれば、基準明細書に基づいて理解される本願発明は、セラミツク物品、金属のような硬質表面を有する物品の表面硬度を維持し、また表面硬度の向上が求められているプラスチツク物品の表面を高硬度化させつつ極めて簡便な方法によつて模様を入れた表面のなめらかな多層積層物の製造法(本願公報四欄五行ないし一〇行)であり、その特許請求の範囲において特定されたケイ素化合物の加水分解縮合物と硬化触媒からなる塗料を基材表面にコーテイングして硬化させ、この基材に密着した硬質ポリシロキサン系被膜を分散染料によつてぼかし模様状に染色する模様入り積層物の製造法であることが認められる。

(二) ところで、本願発明における特定のケイ素化合物の加水分解縮合物と硬化触媒とからなる塗料は、基材の表面にコーテイングされたのち、前記のとおり硬化するものであるが、前掲甲第二号証の一、二によれば、発明の詳細な説明欄には、右の塗料の調整に関し「(特定されたケイ素化合物の加水分解縮合物を含む溶液)を単独または二種以上組合せ適当な溶媒中で塩酸などを添加して、加水分解(通常一部縮合)物とし、これ(に)単独またはポリビニルプチラール、ポリアミド、エポキシ樹脂(メタ)アクリル酸エステル系共重合体などの有機ポリマの適量を組合わせ、硬化触媒を添加し、さらに必要に応じ、界面活性剤などを添加して本発明に適するコーテイング剤を調整する。ここで硬化触媒とは、本発明の塗膜成分の硬度が発揮できるものをいい、たとえば実施例に記載するように、アセチルアセトンアルミニウム塩などをいう。」(本願公報五欄二三行ないし三〇行及び昭和六一年七月一四日付手続補正書二頁(3))との記載があり、更に、実施例1として、γ―グリシドキシプロピルトリメトキシシラン二三六重量部に〇・〇一規定塩酸水溶液五四重量を添加し攪拌して得た加水分解物五〇重量部にグリセロールポリグリシジエーテル二五重量部、m―キシレン五〇重量部、エチレンクロルヒドリン五〇重量部、アセチルアセトンアルミニウム塩五重量部シリコーン系界面活性剤〇・七重量部を添加して、均一溶液となるまで攪拌後一昼夜熟成後ろ過してコーテイング剤を調整した例が示されており、実施例4においては、γ―グリシドキシプロピルトリメトキシシランとγ―グリシドキシプロピルメチルジエトキシシランの混合溶液に塩酸水溶液を添加して攪拌して得た加水分解物にn―プロピルアルコールとアセチルアセトンアルミニウム塩、シリコーン系界面活性剤を添加し、均一溶液となるまで攪拌したのちろ過してコーテイングを調整する方法が示されていることが認められる。前記認定に係る本願明細書の各記載及び本願発明で特定されている加水分解縮合物の化学構造に照らしてみると、基準明細書に基づいて理解される本願発明の硬化とは、ケイ素化合物の加水分解縮合物が硬化触媒の存在下において相互に反応して高分子化することであり、その結果として、硬質ポリシロキサン系被膜が基材の表面に密着して生成されるものであり、その際のケイ素化合物の加水分解縮合物が高分子化し硬化する反応としては、シラノール同志の縮合反応、グリシドキシ基を開環キユアせしめる硬化反応及びシラノールとグリシドキシ基との反応が行われているものと推認するのが合理的である(硬化反応としてこれらの態様の反応が考えられること自体は、原告も認めるところである。)。したがつて、本願発明における「硬化触媒」は右の三つの態様の反応に関与し、触媒として作用するものであつて、実施例1及び4に示されたアセチルアセトンアルミニウム塩も単に原告の主張するようにグリシドキシ基を開環キユアせしめる硬化反応にのみ与るものとは認められない。このことは、成立に争いのない甲第八号証(特公昭五一―二八八七六号公開公報)に記載されたことからも合理的に推認されるところである。すなわち、透明被膜複合体の発明に係る明細書である甲第八号証には、「本発明は、まづポリメタクリル酸メチルを主成分とする基材の上にⅠを塗布し、これを硬化せしめるのであるが、塗布ならびに硬化を効率よく均一に行うにはⅠに触媒を加えそのまま塗つて硬化させてもよいが予めⅠを触媒とともに加熱するか・・・により適当な粘度・・まで反応させたのち、これを基材に塗布し、さらに加熱して硬化を完結させてもよい。ここに用いる触媒とは過塩素酸、塩酸・・・BF3及びその電子供与体との錯体、・・・ナフテン酸亜鉛、ナフテン酸カルシウム・・などのナフテン酸金属塩、苛性カリ、苛性ソーダなどのアルカリ類・・を用いることができる。」(五頁右上欄七行ないし六頁左上欄一行)との記載があり、Ⅰ群の成分としてメタクリロキシアルキルトリアルコキシシラン、アミノアルキルトリアルコキシシラン、ビニルトリスアルコキシアルコキシシラン及びビニルトリアルコキシシランから選ばれた一種または二種以上のシリコーン化合物が挙げられている(特許請求の範囲第1項及び昭和五〇年四月三〇日付手続補正書)こと、また、「Ⅱ又はⅢの混合物の反応を進めて粘度を増加させる方法として、Ⅰの反応を進めた場合に用いると同様の触媒を添加して加熱するか、・・・照射する方法によればよい。但し最終的に硬化を完結させるには、Ⅰの反応を進める場合に使用する触媒を添加して加熱する必要があり、光もしくは電離性放射線によつて粘性を高める場合にも、塗布後の硬化反応には触媒を添加してこれを行う必要がある。」(六頁右上欄四行ないし一二行)との記載があり、Ⅱ群の成分として、グリシドキシ基を有するグリシドキシアルキルトリアルコキシシランが示されている(特許請求の範囲第1項)ことが認められるところ、これらの記載を総合すると、甲第八号証記載の発明においては、本願発明と同じようにグリシドキシ基とシラノール構造を有する成分であるⅡ群の成分の塗布後の硬化に際しても、Ⅰ群の成分、すなわちシラノール構造を有し、グリシドキシ基を有しない成分の硬化用として用いられる触媒と全く同じ触媒が使用されていることが明らかである。このことに照らしてみても、本願発明における「硬化触媒」の唯一の具体例であるアセチルアセトンアルミニウム塩も前記認定のとおりケイ素化合物の加水分解縮合物を開環キユアせしめる硬化反応のほか、シラノール同志の縮合反応やシラノールとグリシドキシ基との反応にも関与するものと推認するのが合理的である。そして、基準明細書に基づいて理解される本願発明の「硬化触媒」は右にみたとおりの技術的意義のあるものとして不可欠の構成要件とされているのであるから、それ自体新規な化合物ではないとしても、原告の主張するように中心的な要件ではないとみることはできない。ところで、前掲甲第二号証の一、二を精査しても、基準明細書の特許請求の範囲にいう「硬化触媒」について、基準明細書には「加熱キユア条件は触媒の添加量によつて一様でない」(本願公報五欄三六行ないし三七行)との記載があるのみであつて、触媒の作用及びその種類に関しては、何らの説明もなく、かつ前記認定のように基準明細書に基づいて理解される本願発明の硬化触媒はケイ素化合物の加水分解縮合物の多様な高分子化反応に関与するものと推認されることからすると、原告主張のように、右の「硬化触媒」が、単に、グリシドキシ基中のエポキシ基を開環せしめるための触媒であると理解することはできず、当業者においても、基準明細書の記載から本願発明の硬化触媒の作用及びその種類を原告の主張するごとく明確に理解できるものとは認められない。

したがつて、基準明細書に、前記認定のように「ここで硬化触媒とは、本発明の塗膜成分の硬度が発揮できるものをいい、たとえば実施例に記載するように、アセチルアセトンアルミニウム塩などをいう。」と記載し、アセチルアセトンアルミニウム塩が硬化触媒の一例示であるごとく表現しているからといつて、基準明細書の記載からは、そこにいう「硬化触媒」の作用及びその種類を原告主張のごとく理解することはできないから、実体的に、本願発明の「硬化触媒」の技術的意義及びその範囲を明確に認識することはできないものといわざるを得ない。前掲甲第二号証の二(昭和六一年七月一四日付手続補正書)に記載された比較実施例の内容をみても、本願発明で用いられるアセチルアセトンアルミニウム塩がエポキシ基の残存を少なくするとしても、他の態様の反応とのかかわりが明らかでないので、基準明細書に基づいて理解される本願発明の「硬化触媒」とされるものがケイ素化合物の加水分解縮合物におけるグリシドキシ基を開環キユアせしめる触媒であるとのみみるべき根拠とはならない。そうすると、基準明細書の特許請求の範囲にいう「硬化触媒」が、唯一具体例として示されたアセチルアセトンアルミニウム塩以外のものを含むものとは解せられず、右の特許請求の範囲に、広く「硬化触媒」と記載したままでは、結局、いかなる種類もしくは範囲の触媒を特許請求の範囲としているのか不明瞭なままとなり、特許請求の範囲の記載自体からみると、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載したものとはいえないこととなるから、昭和六一年九月二二日付拒絶理由通知書における拒絶理由のように、「本願発明の硬化触媒及びその触媒についての説明が明確でない。」とされることになる。このように、基準明細書に記載された本願発明の「硬化触媒」は単にグリシドキシ基の開環触媒であるとみることができないから、これを前提とする原告の主張は到底採用できない。

(三) 本件補正の内容が、本件補正却下の決定に記載されたとおりであることは当事者間に争いがない。

(1) 基準明細書の特許請求の範囲における「硬化触媒」を「グリシドキシ基を開環キユアせしめる硬化触媒」と補正した点は、基準明細書によつて理解され得る前述したとおりの硬化触媒のもつ技術的意義を変更したものであり、実質上特許請求の範囲を変更するものといわざるを得ない。この点、本件補正却下の決定が、「硬化触媒」を「グリシドキシ基を開環キユアせしめる硬化触媒」としたこと自体は、基準明細書に基づき理解される本願発明の硬化反応として、「グリシドキシ基を開環キユアせしめる硬化反応のほか、シロキサン同志の結合反応、シロキサンとグリシドキシ基との反応等が考えられることから、一応、特許請求の範囲の減縮に相当するものであるということができる。」旨説示しているが、確かに、前述したとおりケイ素化合物の加水分解縮合物の高分子化、すなわち硬化が三つの態様の反応進行に伴うものであることからすれば、基準明細書の特許請求の範囲における「硬化触媒」を「グリシドキシ基を開環キユアせしめる硬化触媒」と補正したことは表現上は反応の態様を限定し、硬化触媒が対象とする反応態様を明らかにしたことになるものの、前記認定のごとく基準明細書には、「硬化触媒」がグリシドキシ基を開環キユアせしめるものであるという技術的意義を示す実体的な記載がないのであるから、不明瞭な記載の釈明にとどまらず、実質的には新たな技術的事項を追加するものといわざるを得ない。したがつて、特許請求の範囲の減縮にも当たらない。

(2) また、本件補正のうち、新たに「各種錯体、過塩素酸塩、ナフテン酸金属塩、アルキルイミダゾール類、酸無水物など」を加入補正しようとした点は、基準明細書の特許請求の範囲における「硬化触媒」には、基準明細書に記載されていたアセチルアセトンアルミニウム塩以外に、これらのものが包含されることを明瞭にした意味があるが、これらの化合物を基準明細書に基づいて理解される本願発明の「硬化触媒」に加入することは、次に述べるとおり新たな技術的事項を追加するものとみざるを得ないので、出願公告後の補正の要件を規定した特許法六四条ただし書きに該当するものとはいえない。この点、原告は、本件補正の却下の決定が、「本願発明における触媒の範囲が上記新規に加入した化合物に及ぶことが明瞭になることから、かかる補正は実質的に請求の範囲を拡張することになる」と判断したことについて、法的根拠のない判断であると非難するが、本件補正の却下の決定における右の説示は、表現不足のきらいがあるにしても、要するに、基準明細書に基づいて理解される本願発明の「硬化触媒」の範囲が、本件補正によつてより明確になつた一面はあるものの、実質的には新たな技術的事項を追加するものであると判断しているものと理解されるのであるから、右の原告の非難は当たらない。

(3) 前掲甲第八号証(特開昭五一―二八八七六号公開公報)、成立に争いのない甲第七号証(特開昭四八―五一九九七号公開公報)、甲第九号証(エポキシ樹脂ハンドブツク)、甲第一〇号証(「ケミカル・アブストラクツ」)、甲第一三号証(特開昭四九―一一七五二九号公開公報)、甲第一四号証(「エポキシ樹脂の製造と応用」)、甲第二三号証(特開昭五一―五八四二五号公開公報)によれば、本件補正によつて加入しようとした化合物のうち、各種錯体の一部、ナフテン酸金属塩の一部及び酸無水物の一部などがエポキシ基を有する化合物(エポキシ樹脂、エトキシリン樹脂、単官能エポキシ等)の硬化剤、触媒もしくは重合開始剤として広く知られていたことが認められる(過塩素酸塩については、前掲甲第八号証にもその記載は認められず、他にその機能を認めるに足る証拠はない。)。しかしながら、触媒と硬化剤や重合開始剤との相違の点を措くとしても、前記認定のとおり基準明細書には、本願発明の「硬化触媒」についての説明がなく、かつ原告の主張するように単にグリシドキシ基を開環キユアせしめる触媒であればすべて「硬化触媒」として使用できるものと理解できる記載もないのであり、また本件補正によつて加入しようとしたこれらの化合物の名称すら記載されていないのであるから、右認定のような公知ないし周知の事項を前提としたうえで基準明細書の記載内容をみても、本件補正によつて加入しようとした各種の化合物が基準明細書の特許請求の範囲における「硬化触媒」のうちに内在していたものとは到底認められない。そうすると、本件補正は基準明細書に内在していた「硬化触媒」を具体的に例示したにすぎないとする原告の主張は採用することができない。また、産業別審査基準「触媒」の4・2を根拠にする原告の主張も、基準明細書から認識され得ない新たな技術的事項が追加されたものとみざるを得ないことは前記説示のとおりであるから失当というべきである。したがつて、その余の点についての検討をまつまでもなく、本件補正は、特許法六四条一項ただし書きに掲げる目的のものとは認められず、却下されるべきものである。

右のとおりであるから、本件補正を却下した本件補正の却下の決定の結論は正当であり、何ら誤りはない。

2 更に、原告は、たとえ本件補正の却下の決定に誤りがないとしても、基準明細書自体には、昭和六一年九月二二日付拒絶理由通知書及び本件審決で指摘されたような記載不備はない旨主張する。しかしながら、すでに前1(二)項で認定説示したように基準明細書の発明の詳細な説明の欄には「硬化触媒」についての説明がなく、かつ実施例においてはアセチルアセトンアルミニウム塩が唯一用いられるのみであるから、特許請求の範囲において広く「硬化触媒」と規定したのでは、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載したことにならないことが明らかであるから、基準明細書には記載の不備があるものといわざるを得ない。したがつて、本件審決の判断には何ら誤りはない。なお、原告は、本件審決の結論が同日付でなされた特許異議の決定における理由なしとした判断内容と矛盾している点を指摘するが、成立に争いのない甲第五号証(特許異議申立理由補充書)及び第六号証(特許異議の決定)によれば、特許法三六条五項(昭和六〇年法律四一号による改正後の三六条四項)違反として特許異議申立人の主張する事由は本件審決の指摘した右の事項と必ずしも同じではないことが認められ、かつ別の手続における判断であるから、特許異議の決定における判断は、本件審決の結論を左右する性質のものではない。したがつて、この点の原告の主張は採用できない。

3 右のとおり本件審決の判断は正当であつて、本件審決にはこれを取り消すべき違法の点はない。

三 以上のとおりであるから、その主張の点に認定判断を誤つた違法があることを理由に、本件審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由がないものとして、これを棄却することとする。

〔編注〕本件における特許請求範囲の記載は左のとおりである。

(1) 昭和六一年七月一四日付手続補正書における特許請求の範囲の記載

無模様の基材の模様付け部分の実質的全体にわたり、下記一般式で示されるケイ素化合物の加水分解縮合物と、硬化触媒からなる塗料をコーテイングし硬化させて、基材に硬質ポリシロキサン系被膜を密着させ、その後、該被膜を分散染料にて濃淡部を有するぼかし模様状に染色することを特徴とする模様入り積層物の製造法。

<省略>

(式中、Rはグリシドキシ基を含む有機基を表わし、R´は炭素数一~五の炭化水素基又は炭素数一~四のアシル基を表わし、Xは〇又は一である。)

(2) 昭和六一年一二月一二日付手続補正書における特許請求の範囲の記載

無模様のレンズ基材の模様付け部分の実質的全体にわたり、下記一般式で示されるケイ素化合物の加水分解縮合物とグリシドキシ基を開環キユアせしめる硬化触媒とからなる塗料を付着硬化させて、該レンズ基材に硬質ポリシロキサン系被膜を密着させ、その後、該被膜を分散染料にて濃淡部を有するぼかし模様状に染色することを特徴とする模様入りレンズの製造方法

<省略>

(式中、Rはグリシドキシ基を含む有機基を表わし、R´は炭素数一~五の炭化水素基又は炭素数一~四のアシル基を表わし、xは〇又は一である。)

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